カバンのフジタ

お知らせ

山形新聞に「ランドセル開発の歴史」の紹介記事が掲載されました

地元山形新聞において

~これぞ老舗 やまがたに息づく~ シリーズ連載において取材をいただきました。

掲載内容は下記の通りです。

これぞ老舗 やまがたに息づく カバンのフジタ

山形市の老舗かばん店「カバンのフジタ」十日町本店には、ピンクやラベンダー、ブルー、キャメル、ブラックなど色とりどりのランドセルが並ぶ。10代目の藤田宏次社長(68)が発案し、コンパクトと大容量を両立させたキューブ型ランドセルが全国から注目を集める同社。その歴史は江戸後期までさかのぼる。

同社によると、藤田家の開祖は文化・文政期 (1804~30 年)に近江から山形へと移り住み、紅花商を営んだ。後に、耐水性のある油紙の商売に転換する。 紅花と油紙、二つには深い関わりがあった。

山形の紅花は、紅餅に加工され、最上川舟運を介して上方に運ばれた。水にぬれて商品価値が落ちないように、紅餅を納めた木箱は、わらと油紙で厳重に梱包された。

「紅花商としては後発だったため、時代の流れで付属する物で商売を始めたようだ」(藤田社長)。

■看板商品の油紙

明治、大正時代には洋品雑貨を販売するようになる。

大正時代とされる店頭を捉えたモノクロ写真がある。「フジタザッカテン」の看板に「自転車雨具」「油紙製造元」と書かれており、文字通り”看板商品”だったと うかがえる。藤田社長は「子どもの頃、三輪車や乳母車を売っていたのを覚えている。 東京から送られてきた部品を庭で組み立てていた」と振り返る。

1953 (昭和9)年ごろになると流行のカバンを取り扱い、祖父の吉治と父信夫さん(昨年死去)が、専門店「藤田カバン店」を設立する。

カバンは飛ぶように売れた。信夫さんは山形から夜行列車で東京に向かい、浅草橋や日本橋近くの問屋街から抱えきれないほどの商品を仕入れた。東京に住む伯父ら 山形衆の手を借りて、自転車に積んで上野駅まで運んだという。帰りの夜行列車では 商品が盗まれないかと気を張っていたため、ほとんど眠れなかった。

信夫さんは品質にこだわり、 全国各地の同業者と共同でランドセルづくりを始めた。

テレビCMも流れ、県民に親しまれた「ぴょんちゃんランドセル」だ。規格は統一されていたが問屋任せにはしなかった。いくつもの工房に足を運んで、腕のいい職人を指名した。

こんなエピソードもある。 カバンのフジタは「吉田カバン」の通称で人気のかばんメーカー「吉田」(東京)と古くから取引があった。 吉田カバン製の品ぞろえが充実しているのはそのためだ。30年ほど前、藤田社長は信夫さんと吉田の新社屋完成お披露目会に出席した。その際、創業者の吉田吉蔵さんに こう告げられた。「おまえのおやじさんは、なかなか目が厳しくてなあ」吉田さんは「一針入魂」の精神で知られる偉大な職人。2人にとって、最高の褒め言葉だった。

大学卒業後、家業を継いだ藤田社長は「たくさん店を出し、たくさん閉めてきた」と苦笑いするが、顧客に喜んでもらえる 品ぞろえと品質、利便性を含めた魅力的な店づくりを心に刻み 会社を経営してきた。

■キューブ型ランドセルが人気 縫製に工夫、大容量に

ランドセル作りには10年ほど前、大きな転機があった。 2011年度に新学習指導要領が全国の小学校で完全実施され、教科書や教材のサイズがB5判から大型化した。

全体の大きさを変えずにA4判フラットファイ ルに対応したランドセルを目指し、本体と背当てを内側から縫い合わせ、背当て回りに縫いしろが残らないキューブ型を開発し2011年に発売した。

背負いやすさと丈夫さも追求した「雪国生まれ」のオリジナルランドセル は評判になり、毎年全国から注 文が寄せられている。 藤田社長は「雪国の風土を考え、少しでもコンパクトで、子どもの負担が少ないランドセルを提供したかった」と思いを語る。

全国的な光るランドセル人気の高まりを受け、2018年度用からは夜だけでなく日中も太陽光や、スマートフォンのライトに反射して、模様が虹色に輝く商品をラインアップした。 来春用には、男女の新シリーズも加わる。

同社は現在、本店のほか、山形市と天童市、福島市、福島県 郡山市のショッピングモールに店舗を構える。「時代に敏感になり、鮮度の高い商品を届けたい。 それが売り手良し、買い手良し、世間良しの『三方良し』につながる」と藤田社長。「地域貢献」も大切にし、山形市を通じて、生活が苦しい世帯の新入学児童、生徒にランドセルとカバンを贈っている。

アパレル業界を経験した長男の宏基専務(39)は祖父と父親の背中を見て育ち、物心が付いた時から家業を継ぎたいと考えていた。「地元があってのフジタ。地元のお客さまに満足していただけるような商売をし、山形から商品を発信して、地域と共に発展していきたい」と11代目の覚悟を語った。 (鈴木悟)